競技中、故意。過失にかかわらず、牌を見せてしまうことがあります。
<事象1>
配牌を取り出している最中に、自分が持ってくる牌を見せてしまうケース。
<事象2>
配牌を取り出している最中に、他家が取り出す牌を見せてしまうケース。
<事象3>
配牌を取り出している最中に、城壁牌の一部の牌を見せてしまうケース。
<事象4>
配牌を取り終えて、理牌している最中に、自分の手牌の一部を見せてしまうケース。
<事象5>
表ドラを開示するとき、正規のドラの隣の牌を見せてしまうケース。
<事象6>
表ドラを開示するとき、リンシャン牌を見せてしまうケース。
<事象7>
摸行為をしている最中に、城壁牌の一部を見せてしまうケース。
<事象8>
摸行為を完了した瞬間、手牌の一部を見せてしまうケース。
<事象9>
打行為をしようとした瞬間、手牌の一部を見せてしまうケース。
<事象10>
打行為をしようとしたとき、城壁牌の一部を見せてしまうケース。
<事象11>
トイパイ(推牌)したとき、城壁牌の一部を見せてしまうケース。
<事象12>
何らかの事情で手牌を並び替えるとき、その一部を見せてしまうケース。
<事象13>
仕掛けを入れる際、開示牌を取り出すときに手牌の一部を見せてしまうケース。
<事象14>
仕掛けを入れたとき、他家の河から鳴いた牌を取ってくる際、城壁牌の一部を見せてしまうケース。
<事象15>
カン行為をした際、城壁牌の一部を見せてしまうケース。
<事象16>
カン行為をした際、手牌の一部を見せてしまうケース。
<事象17>
リーチをする際、城壁牌の一部を見せてしまうケース。
<事象18>
リーチをする際、リーチ表示牌を取り出すときに手牌の一部を見せてしまうケース。
ピックアップした事象以外にも、見せ牌をしてしまうケースはあるでしょう。
ここからが本題です。
さて、競技的に見せ牌についてはどのような裁定を設けておくべきでしょうか?
なぜこのような問題提起をするのかと言えば、裁定が曖昧になっていることが多く、もう少し見せ牌については掘り下げて考えたほうがいいと思っているからです。
結論から言いますと、故意・過失にかかわらず、見せ牌をした競技者はアガリ放棄にしておくべきではないでしょうか。
厳しすぎるのではないか、という声が挙がるのは承知していますが、競技を著しく阻害する恐れのある行為なので、少なくとも当該競技者はアガリ放棄にしておかないと、おかしなことが起こることになります。
たとえば、次の手牌。
ツモ ドラ
こんなイーシャンテンになっていたとしましょうか。
このをツモってくるときに、たまたま自分の目の前にある城壁牌の右端を引っかけて見せてしまい、それがでした。
ところが、その右端の牌は次に自分がツモってくる牌だったとしたら、善良なあなただったらどう考えますか?
が打てますか?
いえいえいつもの手順は、ドラのトイツを固定したイーシャンテン(もちろん七対子も含めて)に構える切りにするので問題ありません。
あるいは、イーペーコーが完成して役が確保できたので、ピンフ手順でドラを切り、ソーズのリャンメンから埋まっても問題ない構えにします。
だから…良心の呵責に囚われることなく、を引いてのテンパイがとれます。
という言い分もあるかもしれません。
ただ、フォームとして、七対子を狙いつつ、あわよくば567の三色を狙う打ち手は、に手をかけるわけですよね。
でも次巡のツモが見えていたら…
良心の呵責に悩まされてしまいます。
しかも自分が親だったら尚更でしょう。
まだ、反論はやってきます。
他家のチーやポンが入ったら、は自分には来ないのだから、良心の呵責なんて話はおかしいのではないか、と。
では次のケースはどうでしょう。
ドラ
こんなイーシャンテンでした。
すると上家の人が摸行為をしている最中に次手番の親がツモるであろう牌を引っかけて見せてしまったんです。
その見せ牌が。
そして上家の手牌はこうなっていました。
ツモ
東場の北家5巡目の出来事で、手牌にある字牌はだけが1枚切れで他は生牌でした。
下家の親がツモるであろう牌のドラを見せ牌にしてしまった手前、いつもであれば七対子の狙いになる1枚切れのは切らない北家が、「もし生牌のかを切ってポンさせてしまった
ら…」などという良心が働く可能性がありました。
更に、何を切っても鳴かれなかった場合、親にが入り、その待ちどりは?
ドラ
切りのツモリ三暗刻
切りの変則3メン待ち
この2つの選択には見せ牌のが待ち牌として絡んでしまいます。
だからと言って切りリーチは…
親にドラのがあるという前提での対応となりますから、6巡目の早いリーチにもかかわらず、いつもの待ちよりはぐっと出アガリ率が下がってしまいます。
故意ではなかったにしても、競技的には重大な過失があったわけで、その罰は受けなければならないということです。
2つ挙げた事例はレアケースなのかもしれませんが、いかなる状況であれ、競技者は見せ牌をしないことが競技を円滑に遂行するための責務となっているのです。
ですから、見せ牌をしてしまったら、即アガリ放棄の罰をうけるという規定を設けておいたほうがいいと私は考えるのです。