不文律(成文化されていないが成文法に準ずる規則・習慣/岩波国語辞典)という言葉があります。そしてマージャンにはその不文律がたくさんあると筆者は考えます。
五十嵐さんが「麻雀きょうぎ」の第12回で取り上げた「自分の捨てた牌をポンやチーで鳴かれた場合、その人に差し出したりしない」が協会の競技規定に加えられたという話は、そもそもの不文律を今のビギナーはほぼ知らないということを表しているのでしょう。
自分が河に捨てた牌を移動させてはいけないというのは、誰もが理解していることでルールに明記されていなくても問題はありませんでした。しかし、麻雀店においてスタッフがサービス精神の発露として行い、それをまねる客が増えたことから、これがマナーだという誤解が生じ事ここに至ったのだと思います。
城壁(チョンピー)牌を崩してはいけない、というのも大事な不文律です。ですので、競技者は慎重にも慎重を重ねて摸打を繰り返します。
ちなみに筆者は約10年の現役生活(101所属)でプレイ中に城壁牌を崩してしまったことはないと記憶しています。たった1度、運営が用意した特大の賽子(シャイツ/サイコロ)を山にぶつけた際に山が崩れたことがありますが、いまだに運営を恨んでおります。
(※サイコロは山にぶつけて確かに振ったことを明示するのが作法。当時の101のルールでは、親の第1打の完了をもってプレイ開始になり、それ以前に崩れた場合は4者が数枚の牌を出し合って撹拌し、山に戻す)
不完全情報ゲームという性質上、1牌でも見えてしまうと著しくゲームの興趣が削がれてしまいますし、プレイの内容にも大きく影響を及ぼします。
例えば、こんな手でテンパイしていたとします。
対面(トイメン)からリーチ。は無筋(通っていない筋)
は2枚切れ、は1枚切れ
という正にこの瞬間に他のプレイヤーが自分の次巡のツモ牌をこぼしたとします。
その牌はなんと
ツモ ドラ
あなたならどうしますか?
愚問ですよね。筆者なら黙ってノーチャンスのを切り、次巡で満貫をツモアガります。仮にリーチをかけてハネ満をアガったところで文句を言われる筋合いはありません。
これは極端な想定ですが、牌が見えた場合、無処置で進行するなどということはあり得ないというのが筆者の考えです。(土田さんは「競技一筋45年」第10回で牌が見えることで重大な影響が出ることを例を挙げて論じているにもかかわらず、無処置という結論なのが不思議です)
となると、処置は2通り思いつきます。
①見えた牌を開示した上で、卓外に出す。
テキサスホールデムポーカーでも配牌時にカードが表返ってしまうことがあります。2枚まではban(開示して不使用)してプレイを続け、3枚目が見えるとリシャッフルだそうです。
②見えた牌をどこかの牌と交換する。
さて、良い方法はありますでしょうか。読者のみなさんも少し考えてみて下さい。