昔から「腰を使う」などという言い方をして、上家からの打牌にたいして「チー」もしくは「ポン・カン」などのモーションをかける行為を打ち手は戒めていました。
老練な先輩たちからは、「腰を使った」あとにリーチをかけると、「まさか、さっきの腰を使った牌でロンするわけじゃないだろうな」と嗜められたものです。
具体的には、こんな手牌のときに「腰を使う」行為が発生します。
ドラ
7巡目に上家がを切ってきました。
カンチャンとリャンメンのイーシャンテンかつ七対子のイーシャンテンでしたが、ドラが暗刻になっていることも手伝って、早くテンパイさせたいという気持ちも充満していました。
そこに想定外のが上家から打ち出され、一瞬ツモ動作に入る所作が停止してしまったのです。僅か1秒くらいの出来事でしたが、卓を囲んでいた対局者には「腰を使った」ように見えました。
もちろん、上家から切られたに「ポン」や「チー」のアクションが入れば問題なかったのですが、1秒くらいの躊躇のあと、打ち手は城壁牌に手を伸ばしたものですから、明らかに「腰を使った」行為になってしまったのです。
そしてツモってきた牌が
ツモ ドラ
当然、を切ってテンパイを取ったわけですが、待ちは「腰を使った」のとなりの四。
直後に上家がをツモ切りして「ロン」
場は凍りつきました。
で「腰を使っておいて」で「ロン」された身になってみて下さい。
ルールの範囲内なんだから別段問題ないと考える人も多いのでしょうから、「腰を使う」
ことそのものも麻雀競技のうちという考えなのでしょう。
こんなケースもあります。
ドラ
7巡目にリーチがかかったときの手牌がこうなっていました。
同巡、上家がを切ってきました。
でしかアガれない喰いタンヤオ・三色・ドラドラでしたが、打ち手は「腰を使って」小考しました。
リャンメン待ちと3メン待ちのイーシャンテンでもあるし、リーチの現物にもないことから、ここは喰わないほうがいいなと思い直し城壁牌に手を伸ばしました。
ツモ ドラ
打ち手はリーチの現物のを切りました。すると上家が前巡に続いてを手出ししてきました。
「ロン」。打ち手は親でしたから「18000」というフィニッシュ。
憮然とした表情で点数を支払う上家。
これまたルール上は何の問題もなく、「腰を使った」ことなど麻雀あるあるじゃないかと一蹴されてしまうのでしょう。
麻雀競技とスポーツマンシップを比較するには無理があるのでしょうか?
正々堂々と戦うことを推奨することに無理があるのでしょうか?
打ち手のモラルの問題として、ルール化しない方が無難なのでしょうか?
時代遅れな考え方なのでしょうか?
遊戯の麻雀であれば、「腰を使う」行為も許容範囲でしょう。
でも麻雀競技には、打ち手の品格も問われると私は考えています。
お喋りを楽しみながらの遊戯麻雀とは根本的に建て付けが違って然るべきなのです。
麻雀競技においては、誤解を招く行為は慎むというモラルが必要です。
<見せ牌>も<腰を使う>行為も、競技に著しく影響を与えることがあります。
「腰を使った」場合には、審判から「コシ!」の警告がされ、以後「腰を使った」色、つまり、ピンズで腰を使ったらピンズ、字牌で腰を使ったら字牌ではロンできない、それくらいのルール化はすべきだと考えています。
もっとも現状の麻雀競技にすべて審判を付けることなど無理な話でしょうから、「腰を使う」行為に関しては、打ち手自身のモラルとして、腰を使った色ではロンしないくらいの歯止めがあるべきだと考えています。
ドラ
こんな手牌になったとき、何をチー、何をポンすればいいのか、麻雀競技に携わる者であれば、上家の打牌時に反応するのではなく、~までの有用性を考えておくことが麻雀上達の道でもあるのです。
「腰を使った」色ではロンできないと定められていたならば、日頃から一流の競技者になるためのトレーニングを積むはずで、「腰を使う」行為そのものが激減するでしょう。
そもそも論になりますが、上家の打牌を「チー」する行為は優遇されています。
「ポン」は少しでも遅いと認められないのに、「チー」はいくら考えても「チー」できるというルール上の盲点があります。
やはりここでも審判不在の弊害が出ていて、審判さえいれば、ポン同様にチーの遅さも認められない公平な状況になるのです。
そんな弊害を利用するかのような「腰を使う」行為は、自らを律するという1点において、麻雀競技に携わる者は見直しを図るべきだと考えています。
『人に優しく、自分に厳しく』
麻雀競技者の心得であり、ルールを守り、マナーを守り、モラルを守ることを実践していこうではありませんか。