前回と同様、今回もドラについての考察です。
次の手を見てください。ドラはとします。
A.
B.
Aはタンヤオドラ3。Bはタンピン三色。どちらも満貫手です。
ここまで育っていればどちらもリーチでおかしくないですが、なんらかの理由があってヤミテンにしているとします。
満貫出アガリで十分の局面とか、親が見え見えの国士狙いで、ヤオチュウ牌を余らせた後に4枚目の牌を引いたらオリるつもりとか、そういった理由でヤミテンにしていると。
さて、この二つの手牌、どちらが偉いでしょうか?
偉いという訊き方が抽象的ですね。正確に言うと。どちらが主導権をとりやすいか、まわりが押し返し辛いか、ということです。
「どちらも満貫手でリャンメン待ちなんだから一緒だろう」――そうでしょうか?
この二つの手、実はAのほうが偉いのです。
ドラを3/4占有しているので、他家3者でドラが使えるとしても1個だけ。そう簡単に高い手は作れそうにありません。
もちろんBのようにタンピン三色を作っている人がいたり、トイトイや一色手で攻めてくる人もいるかも知れませんが、手役の有無に関しては、ハッキリとはわかりません。
しかし、ドラは必ず存在します。使い辛い字牌のドラで、早めに捨てられていたり、まれに王牌に死んでいることもありますが、たいていは誰かの手に使われているのです。
Bは満貫手であっても、自分の手にはドラがないために、つねに「どこかにドラが固まっているのではないか。ドラを2、3枚持っているところが押し返してくるのではないか」という恐れが付きまといます。
同じ満貫手でも、Aのほうが偉いというのは、そういうことです。
ここで喰い仕掛けについても考えてみましょう。
3枚目のが上家から打たれたため、仕方なくこれをチーしたとします。
A.
B.
Aは変わらず満貫手(切り上げ満貫を採用していなければ、散家で7700点)。
Bは三色が喰い下がり、ピンフも消えて散家で2000点です。
そう、ドラは喰い下がりもなく非常に恵まれている、恵まれすぎているのです。
手役で最小枚数なのは翻牌の3枚。
次に少ないのがイーペーコー。6枚使ってやっと1翻。しかも喰ったら役なしになってしまいます。
次が9枚手役の一気通貫と三色同順。2翻ですが、喰えば1翻に落ちます。
それに対し、ドラはアガリ役ではないという欠点があるだけで、1個使うだけで1翻、しかも喰い下がりがないのです。
苦労して作る手役とのバランスがあまりにも悪いと思いませんか?
ドラはなぜ生み出されたのか?
麻雀が日本に伝わってきたのは大正時代といわれていますが、そのころはドラというものは、ありませんでした。
太平洋戦争後にリーチ(途中リーチ)などと共に生み出され、ルールのインフレ化に拍車をかけました。
もちろんドラの存在を悪と決めつけるわけではありません。当時は「大人の遊び」でしたから、リーチやドラの存在によって刺激が増え、そのことが麻雀人口の増加を生んだ面があります。昭和30年代以降はサラリーマンの娯楽の筆頭という時期が長らく続いたものです。
ただ、このときに「手役で1翻あればアガリ点が倍になる」のと同じように、安易に「ドラが1個で1翻、アガリ点が倍になる」としたことが、手役の価値を相対的に貶めたと思えるのです。
もしも、前回提唱した積み棒のような「加点方式」になっていたら、あるいはドラ1個につき10符加符といった「加符方式」(ただし、70符や80符が頻繁に出て計算が面倒になる危惧がある)にしていたら……手役とのバランスが保てていたのではないかと思うのです。
「いまさら、そんなルールで打てない。ドラ1個で1翻が染みついている」というのであれば、せめてドラの数を少なくしてみませんか?
普段、赤牌ありで打っている人は赤牌なしで。裏ドラありで打っている人は裏ドラなしで、たまには打ってみませんか?
現在、一般参加可能な裏ドラ一発なしの競技会を常時行っているプロ団体は日本プロ麻雀連盟、麻将連合(μ)があります。これらに参加する一般の方々は最高位戦、RMU、日本プロ麻雀協会の大会参加者より高齢の方々が多いように見受けられます。
昭和の時代に「競技麻雀」と呼ばれた大会などはほとんど裏ドラ(槓ドラも)一発なしのルールでした。そうした時代に対する郷愁といった面もあるかもしれません。
しかし、長く続けているベテラン勢が、結局そのほうが麻雀競技として面白いと思っているからではないでしょうか?
なぜなら僕自身、ドラが少ないほうが面白いと思っているからです。