佐藤崇の第35期最高位決定戦自戦記②

どうせなのでこの局、もう少し掘り下げてみよう。

西家水巻の11巡目。

一索一索二索七索七索七索八索九索九索九索東西北北

東西共に生牌でなんとも悩ましい所だが、よくわかんないから西、としておくと次巡のツモが三索ここで打一索としておくと更に次巡八索を引いて

一索二索三索七索七索七索八索八索九索九索九索東北北

ここでさすがに東切りテンパイとなるはず。
この手自体にあがりはないのだが、飯田が13巡目ドラ単騎の七対手テンパイを果たす。そう、丁度山越しの形となるのだ。

テンパイ打の西は水巻に1巡遅れて合わせる形となるので、そうなると

二萬二萬三萬四萬四萬五萬六萬五筒六筒四索六索六索六索東

前巡切った二萬をもう一度引いてこの形となるのだが、ここで東が止まったかどうか。…非常に怪しい。飯田の捨牌からは七対手本線であることは認識していたが、ここぞとばかりに切ったかもしれない。

そうなると今回の決定戦は、私の6400放銃から始まった可能性もあった訳だ。
この様に麻雀とは、一人の一牌の選択が結果を大きく左右させるゲームである。

なぜ流局したこの局に、ここまで紙面を割いたかというと、この事を言いたかった他に、私は麻雀を打つ上で、最初の『入り方』を重要視しているからに他ならない(この後はサラサラ行くのでご安心を♪)。

今現在、『麻雀に流れはあると思うか』と問われると私はこう答える。
『あると思うが、意識して打つことはあまりない』

当たり前の話だが、東1局というのに流れなど存在しない。では何をするか。

なるべく自然に、冷静に、勝負に入っていけるようにするのだ。
これは自分にとっての儀式のようなものである。
その為に、自分の中で守っているいくつかの『決まり事』がある。
全体譜にもある通り、14巡目に村上から打たれた6枚目の四筒にチーテンがかけられるが、これを動かないのもそうした理由からである。

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